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やすだ瓦ロード

家は、瓦が普通でした。

子どもの頃、それを特別だと思ったことは一度もありませんでした。

家の屋根は瓦。

隣の家も瓦。

友達の家も瓦。

学校へ行く途中も、スーパーへ行く途中も、見上げればいつも同じような屋根が並んでいました。

雨の日には黒くなり。

晴れた日には少し銀色に光る。

冬になれば雪に埋もれ、春になるとまた同じ姿を見せる。

それが、この町の景色でした。

だから、大人になるまで知りませんでした。

この景色が、当たり前ではなかったことを。

新潟は雪が降ります。

阿賀野市も雪が積もります。

子どもの頃は、屋根の上に積もった雪の高さで、その年の冬の厳しさを感じていました。

だからでしょうか。

雪国に瓦があることを、不思議だと思ったことはありませんでした。

あるのが普通だったからです。

けれど、大人になってから知りました。

この町の瓦が、日本最北の瓦産地として、およそ180年もの間、作り続けられてきたことを。

そして、なぜか少し気になりました。

なぜ、この町だけに、こんな景色が残ったのだろう。

その答えを探したくて、改めて安田の町を歩いてみることにしました。

やすだ瓦ロード。

名前だけを聞くと、観光地のように思うかもしれません。

けれど、歩き始めてすぐに気付きます。

ここは、何かを見に来る場所ではありません。

誰かが長い時間をかけて守ってきた景色の中を、歩く場所です。

煙突があります。

工場があります。

人が暮らしています。

鬼瓦が並んでいます。

そして、その全部の上に、あの銀色の屋根があります。

気付けば、何度も空を見上げていました。

いや、違いました。

見ていたのは空ではなく、屋根でした。

子どもの頃には、一度も気にしたことのなかった景色です。

家は建て替わります。

店も変わります。

道路も広くなります。

けれど、不思議なことに、この町の屋根だけは、昔と変わらないように見えました。

江戸時代の終わり。

遠く福井から来た一人の職人が、この土地の土に目を留めました。

そこから始まった瓦づくりは、雪に耐え、時代に耐え、人の暮らしを守りながら、180年という時間を積み重ねてきました。

子どもの頃には、そんなことは知りませんでした。

ただ、家は瓦が普通でした。

でも今なら分かります。

あの頃、当たり前だと思っていた景色は、誰かが180年間、守り続けてきた景色だったのだと。

そして、安田瓦が守ってきたのは、屋根そのものではありません。

見上げれば、いつもそこにあるという、この町の安心だったのかもしれません。

目次

安田瓦ロードとは

雪国なのに、なぜ瓦なのだろう。

安田瓦のことを知ってから、一番最初に浮かんだ疑問は、それでした。

新潟は雪が降ります。

阿賀野市も、毎年のように雪に覆われます。

子どもの頃は、朝起きるとまず窓の外を見ていました。

どのくらい積もっただろう。

学校は休みになるだろうか。

雪かきは終わっているだろうか。

そんな冬を、何度も過ごしてきました。

だからでしょうか。

雪国に瓦があることを、不思議だと思ったことはありませんでした。

あるのが普通だったからです。

けれど、改めて考えてみると、それはとても不思議なことでした。

雪が積もる。

凍る。

溶ける。

また凍る。

その繰り返しに耐えられなければ、雪国で瓦は残れません。

それなのに、阿賀野市の安田町では、約180年前から瓦が作られ続けてきました。

その始まりは、江戸時代の終わり頃までさかのぼります。

福井からやって来た一人の職人が、この土地の土に目を留めました。

安田の土は、瓦づくりに向いていたのです。

そして、近くには阿賀野川がありました。

焼き上げた瓦を遠くまで運ぶこともできました。

けれど、それだけでは180年も続かなかったはずです。

安田瓦を育てたのは、豊かな自然だけではありません。

むしろ、その逆でした。

雪です。

毎年、変わらず降り積もる雪。

屋根が見えなくなる冬。

春まで続く寒さ。

その厳しさに耐えられる瓦だけが、この町に残ることができました。

だから、安田瓦は強くなりました。

高温で焼かれた瓦は、水をほとんど吸いません。

雪国特有の凍結にも強く、何十年もの冬を越えていきます。

そして、その強さは、いつしかこの町の景色になっていきました。

やすだ瓦ロードを歩いていると、そのことがよく分かります。

観光のために作られた町並みではありません。

工場があります。

煙突があります。

人が暮らしています。

生活があります。

その全部の上に、銀色の屋根があります。

それは、誰かが特別に残そうとした景色ではありません。

雪に負けないように。

暮らしを守れるように。

そうして積み重ねてきた180年が、結果として、この町だけの景色を作っていました。

だからなのかもしれません。

やすだ瓦ロードを歩いていると、観光地を訪れているという感覚にはなりません。

むしろ、

ずっと前から知っていた景色の理由を、ようやく知ることができた。

そんな気持ちになるのです。

この町では、瓦が特別ではなかった

安田瓦が180年間愛され続けている理由を、一言で説明するのは難しいと思います。

丈夫だから。

美しいから。

歴史があるから。

どれも間違いではありません。

けれど、やすだ瓦ロードを歩いていると、もっと単純な理由があるように思えてきます。

それは、この町で暮らす人にとって、瓦が特別ではなかったことです。

子どもの頃、屋根を見て「綺麗だな」と思ったことはありませんでした。

雪が積もっているか。

雨が降っているか。

そのくらいしか気にしていなかった気がします。

それほどまでに、瓦は暮らしの中にありました。

考えてみれば、不思議なことです。

180年という時間は、とても長い。

家は建て替わります。

人は歳を重ねます。

町の景色も少しずつ変わっていきます。

けれど、この町では、見上げた先にある屋根だけは、大きく変わりませんでした。

晴れた日には、少し銀色に光る。

雨の日には、深い色になる。

雪の日には、静かに白い景色の中へ消えていく。

目立つわけではありません。

何かを語るわけでもありません。

ただ、そこにあります。

十年後も。

五十年後も。

百年後も。

だからなのかもしれません。

安田瓦が180年間愛されてきた理由は、特別だったからではありません。

この町の人にとって、あまりにも当たり前だったからこそ、今も変わらず残っているのだと思います。

鬼瓦が笑っている町

やすだ瓦ロードを歩いていて、一番驚いたのは、屋根ではありませんでした。

鬼です。

もちろん、本物ではありません。

鬼瓦です。

普通、鬼瓦は屋根の上にあります。

遠くから見上げるものです。

けれど、この町では違います。

道路脇にあります。

工場の前にあります。

気が付けば、あちこちで鬼と目が合います。

怖い顔をしている鬼。

笑っている鬼。

少し困ったような顔の鬼。

子どもが見たら泣きそうな鬼もいれば、思わず写真を撮りたくなる鬼もいます。

考えてみれば、不思議な景色です。

180年間、雪と暮らしてきた町の人たちが、屋根を守るために作り続けてきたものが、今では町の表情になっています。

そして、もっと不思議なのは、それが観光のために置かれているように見えないことです。

鬼もまた、この町の住人のように、当たり前の顔をしてそこにいます。

鬼瓦を作る町には、今も煙が上がっている

やすだ瓦ロードを歩いていて、不思議に思ったことがあります。

それは、この町が「昔の町」ではないことです。

歴史がある町はたくさんあります。

古い建物が残る町もあります。

けれど、その多くは「残された歴史」です。

大切に保存され。

観光資源として守られ。

私たちは、それを見に行きます。

けれど、安田は少し違いました。

ここでは、歴史が終わっていません。

今も続いています。

道路を歩いていると、工場があります。

煙突があります。

作業場があります。

そして、その中では、今も瓦が作られています。

約180年前。

福井から来た一人の職人が始めた技術は、展示物になったわけではありません。

博物館の中に飾られたわけでもありません。

今も、人の手によって作られています。

それが、この町の一番不思議なところなのかもしれません。

鬼瓦を見ても、そう感じます。

怒った顔。

笑った顔。

少し優しそうな顔。

同じ鬼瓦なのに、一つとして同じ表情はありません。

それは、工業製品ではなく、人が作っているからです。

考えてみれば、当たり前のことでした。

180年前も、人が作っていました。

100年前も、人が作っていました。

そして今も、人が作っています。

雪が降る冬も。

暑い夏も。

時代が変わっても。

その繰り返しが、この町の景色を作ってきました。

やすだ瓦ロードを歩いていると、時々、煙突を見上げてしまいます。

子どもの頃は、何も考えませんでした。

煙突は、そこにあるものでした。

けれど今は違います。

あの煙の向こうで、今日も誰かが瓦を作っている。

そのことを知ってしまったからです。

もしかすると、安田瓦が180年間残ってきた理由は、瓦が強かったからではないのかもしれません。

180年間、作り続ける人がいたからこそ、この町の景色は今も残っているのだと思います。

瓦は、屋根の上だけでは終わらなかった

子どもの頃、瓦は屋根にあるものでした。

それ以外の使い方を考えたことはありません。

屋根を守るもの。

雪から家を守るもの。

それが瓦でした。

だから、初めて鬼瓦の置物を見た時は、少し驚きました。

さらに、食器になった瓦を見た時は、もっと驚きました。

「瓦って、こんなこともできるんだ。」

そんな当たり前の感想が、最初に浮かびました。

考えてみれば、不思議なことです。

180年前に始まった技術が、今もそのまま残っているだけでも十分すごいことです。

けれど、安田瓦は残るだけではありませんでした。

変わり続けていました。

やすだ瓦ロードを歩いていると、そのことがよく分かります。

鬼瓦があります。

動物のオブジェがあります。

キャラクターがあります。

そして、手に取って使うことができる器があります。

どれも、昔の職人が想像していた姿ではなかったかもしれません。

けれど、その根っこにあるものは、180年前と変わっていません。

土を選ぶこと。

火を扱うこと。

形を作ること。

そして、誰かの暮らしの中に残るものを作ること。

それだけは、今も変わっていません。

やすだ瓦ロードが面白いのは、古い町並みを保存しているからではありません。

古い技術が、今も少しずつ姿を変えながら生きていることです。

だから、この町を歩いていると、不思議な感覚になります。

昔の町を歩いているようで、実は今の町を歩いている。

伝統を見ているようで、実は未来を見ている。

その境界線が、とても曖昧なのです。

もしかすると、安田瓦が180年間続いてきた理由は、変わらなかったからではないのかもしれません。

変えてはいけないものを守りながら、変わることをやめなかったからこそ、この町の景色は今も続いているのだと思います。

安田瓦ロードが教えてくれたこと

子どもの頃、屋根を見上げた記憶はありません。

家は、瓦が普通だったからです。

雨の日には黒くなり。

晴れた日には少し銀色に光る。

雪が積もれば、また春を待つ。

それが、この町の景色でした。

だから、わざわざ見上げる必要もありませんでした。

けれど、やすだ瓦ロードを歩いたあと。

気が付くと、何度も屋根を見上げていました。

家は建て替わります。

店も変わります。

道路も広くなります。

けれど、この町の屋根だけは、昔と変わらないように見えました。

今思えば、それは偶然ではありませんでした。

誰かが土を選び。

誰かが火を焚き。

誰かが屋根を守り続けてきた。

その180年の積み重ねが、私たちが当たり前だと思っていた景色を作っていました。

子どもの頃には気付きませんでした。

でも今なら分かります。

安田瓦が守ってきたのは、屋根そのものではありません。

見上げれば、いつもそこにある。

そんな、この町の安心だったのかもしれません。

まとめ

家は、瓦が普通でした。

子どもの頃、それが特別だと思ったことは一度もありませんでした。

雨の日には黒くなり。

晴れた日には少し銀色に光る。

雪が積もれば、また春を待つ。

それが、この町の景色でした。

だから、屋根を見上げることもありませんでした。

けれど、やすだ瓦ロードを歩いたあと。

帰り道で見た屋根は、少しだけ違って見えました。

子どもの頃から、ずっと同じ場所にあった景色。

何も変わっていないと思っていた景色。

その景色が、誰かの180年の積み重ねの上にあったことを、ようやく知ったからです。

家は、瓦が普通でした。

今思えば、それは、とても贅沢なことだったのかもしれません。

そしてその景色は今も、阿賀野市の空の下で、静かに町を守り続けています。

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