忠犬タマ公とは

新潟県五泉市村松地区。
現在は豊かな自然とのどかな田園風景が広がるこの場所も、昭和初期には深い雪に閉ざされる山村でした。
冬になると、家々は何メートルもの雪に囲まれます。
山へ入る人々にとって雪崩は決して珍しいものではなく、一瞬で命を奪う恐ろしい自然災害でした。
そんな雪国で暮らしていた一人の猟師が、刈田吉太郎です。
そして、その傍らには、一匹のメスの越後柴犬がいました。
その犬の名が、タマ。
後に「忠犬タマ公」と呼ばれることになる犬です。
タマは昭和初期、新潟県中蒲原郡川内村(現在の五泉市村松地区)で生まれ育ちました。
犬種は、越後地方で古くから猟犬として飼われていた越後柴犬です。
雪深い山を人とともに歩き、獲物の気配を察知する猟犬として活躍していました。
当時、猟師にとって猟犬は「ペット」ではありません。
山でともに働く相棒であり、ときには命を預ける仲間でもありました。
人には分からない獣の気配を察知し、危険を知らせ、ともに山を歩く存在。
だからこそ、猟師と猟犬の間には、言葉では表せない深い信頼関係が生まれていったのでしょう。
私も犬を飼っています。
毎日一緒に暮らしていると、「今日は甘えたいんだな」「散歩へ行きたいんだな」と、不思議なくらい気持ちが伝わる瞬間があります。
もちろん、本当に犬が何を考えているのかは分かりません。
それでも、一緒に過ごす時間が長くなるほど、少しずつ家族のような存在になっていきます。
昭和初期の雪国で暮らしていた吉太郎とタマも、きっとそうだったのではないでしょうか。
一緒に山へ入り、一緒に家へ帰る。
囲炉裏のそばで休み、また翌日も同じように山へ向かう。
そんな何気ない毎日を積み重ねていたからこそ、後に起きる二度の奇跡は生まれたのかもしれません。
この時の二人は、もちろん知る由もありません。
その絆が、90年以上たった今でも語り継がれる物語になることを。
一度目の雪崩 ― 昭和9年2月5日

昭和9年(1934年)2月5日。
その日も、吉太郎はタマを連れて山へ入りました。
特別な日ではありません。
何度も歩いた雪道。
何度も猟に訪れた山。
タマもまた、主人の少し前を歩いたり、立ち止まって振り返ったりしながら、いつものように雪の上を進んでいたのでしょう。
山では、毎日が自然との向き合いです。
雪の深さも、風の音も、木々のきしむ音も、その日によって少しずつ違います。
けれど、この日が二人の運命を変える一日になるとは、誰も思っていませんでした。
突然、雪崩が発生します。
山の斜面を覆っていた大量の雪が崩れ落ち、吉太郎は一瞬のうちに雪の下へ飲み込まれてしまいました。
雪崩は、豪雪地帯で暮らす人々にとって最も恐ろしい自然災害の一つです。
一度埋まれば、自力で脱出することは極めて難しいといわれています。
主人の姿が、突然消えました。
その瞬間、タマは何を思ったのでしょうか。
驚いたのか。
怖かったのか。
それとも、ただ主人を探そうとしただけだったのか。
その答えは、誰にも分かりません。
けれど、一つだけ確かなことがあります。
タマは、その場を離れなかった。
主人が埋まった場所で、小さな前足を使い、必死に雪を掘り始めたのです。
雪崩の雪は、新しく降り積もった柔らかな雪ではありません。
押し固められた重い雪です。
小さな犬が掘り進めるには、あまりにも過酷でした。
それでも、タマは掘ることをやめませんでした。
何度も。
何度も。
前足を動かし続けます。
やがて、その足は血で赤く染まっていきました。
それでもタマは諦めませんでした。
主人がいない。
そのことだけは、タマにも分かっていたのでしょう。
どれほどの時間が過ぎたのかは分かりません。
その間、タマが何を考えていたのかも分かりません。
しかし、足を血だらけにしながら雪を掘り続けたことは、今も記録として残されています。
その懸命な行動によって、吉太郎は救助され、一命を取り留めました。
主人の命を救った一匹の犬。
この出来事だけでも、十分に奇跡と呼べる出来事だったでしょう。
しかし、それは終わりではありませんでした。
約二年後。
タマはもう一度、主人の命を救うことになるのです。
奇跡は二度起きた

一度だけなら、偶然だったと言われたかもしれません。
「運が良かった。」
「たまたま主人の場所が分かった。」
そう考える人もいたでしょう。
しかし、その約二年後。
昭和11年(1936年)1月10日。
吉太郎は近所の人たちとともに、再び山へ入ります。
そして、またしても雪崩が発生しました。
二年前と同じように、主人は雪の下へ消えてしまいます。
一度目の雪崩を経験した犬です。
主人が雪の中へ消えていく光景を見ていた犬です。
もし恐怖だけが残っていたなら、近づくことさえできなかったかもしれません。
それでも、タマは迷いませんでした。
再び雪の中へ向かい、主人が埋まった場所で雪を掘り始めたのです。
この時も、タマは主人を救いました。
さらに、一緒に山へ入っていた仲間も救われたと伝えられています。
主人の命を二度救った犬。
そんな話が、本当にあるのでしょうか。
当時の人々も、きっと同じように驚いたはずです。
この出来事は新聞やラジオで大きく報じられ、日本中へ広まりました。
そして、人々は敬意を込めて、その名を呼びます。
「忠犬タマ公」。
単なる「タマ」ではありません。
「公」という文字には、尊敬の意味が込められています。
それは、人々がタマを一匹の犬としてではなく、一つの命を救った存在として見ていた証だったのでしょう。
やがて、この物語は海を渡ります。
アメリカでも紹介され、新潟県知事やアメリカ合衆国から表彰を受けるほど、大きな話題となりました。
けれど、タマはそんなことを知りません。
表彰されるために雪を掘ったわけでもありません。
有名になるためでもありません。
雪の下には、大切な主人がいました。
だから、掘った。
その行動が、九十年以上たった今も、人々の心を動かし続けています。
タマ公の物語は終わらなかった

昭和15年(1940年)。
タマは11歳で、その生涯を終えました。
犬として特別長生きだったわけではありません。
雪深い山で主人とともに暮らし、猟犬として働き続けた、ごく普通の一匹の犬でした。
けれど、タマの物語は、その日で終わりませんでした。
普通、一匹の犬の名前は、時が流れるにつれて少しずつ忘れられていきます。
家族の思い出として心に残ることはあっても、その名前が何十年にもわたって語り継がれることは、決して多くありません。
しかし、タマ公は違いました。
主人を二度救ったという出来事は、多くの人の心に深く刻まれます。
昭和11年には、現在の胎内市笹口浜に最初のタマ公像が建てられました。
翌年には、当時の川内小学校と新潟市の白山公園にも銅像が建立されます。
戦時中には金属供出のため白山公園の像が姿を消しましたが、戦後、多くの人の願いによって再び建立されました。
「もう一度タマ公をこの場所へ。」
その思いが、一匹の犬を再び街へ戻したのです。
その後も、新潟駅、村松公園、ありがとうの郷・タマ公苑、ラポルテ五泉へと、新たなタマ公像が建てられていきました。
現在では、新潟県内だけでも七基、さらに横須賀市を含めると八基もの像や顕彰碑が残されています。
一匹の猟犬に、これほど多くの像が建てられることは、全国的に見ても珍しいことでしょう。
それだけ多くの人が、タマ公の物語を未来へ残したいと思ったのです。
犬は、自分が銅像になることを知りません。
名前が教科書や本に載ることも知りません。
けれど、人は忘れたくない出来事を、石や銅に刻みます。
それは、タマ公を称えるためだけではありません。
「こんな犬が、本当にいた。」
その事実を、次の世代へ伝えるためなのでしょう。
だから今も、村松公園では春になると桜が咲き、そのすぐそばでタマ公は静かに訪れる人を見つめています。
季節は何度巡っても、タマ公の物語だけは色あせることなく、今日まで語り継がれているのです。
横須賀市との不思議な縁

忠犬タマ公の物語は、五泉市だけに残されたものではありません。
実は、その縁は300km以上離れた神奈川県横須賀市へと続いています。
きっかけは、昭和11年(1936年)。
タマ公が主人を二度救ったという話に感動した、新潟県出身の海軍関係者が、横須賀市衣笠地区に顕彰碑を建立しました。
雪深い新潟の山で起きた出来事が、海を越えた港町にも伝わったのです。
その後、この縁は時代を越えて受け継がれていきます。
旧村松町川内地区と横須賀市衣笠地区は交流を深め、2002年には市民同士の交流が本格的に始まりました。
さらに、五泉市と横須賀市は2009年に災害時相互応援協定を締結しています。
一匹の犬がきっかけとなり、二つのまちが助け合う関係になったというのは、とても珍しいことではないでしょうか。
2017年には、五泉市から横須賀市へ忠犬タマ公像が寄贈されました。
現在、衣笠山公園にはタマ公像が建ち、多くの人がその物語に触れることができます。
興味深いのは、小泉家とのつながりです。
昭和11年に横須賀市へ建てられた顕彰碑の揮毫は、当時の横須賀市長だった小泉又次郎によるものでした。
そして、村松公園にある記念碑には、その孫である小泉純一郎元内閣総理大臣が揮毫した文字が刻まれています。
さらに、2017年に横須賀市へ寄贈されたタマ公像の碑には、小泉純一郎氏の次男である小泉進次郎氏が揮毫を担当しました。
偶然とは思えないような、不思議な縁が三世代にわたって受け継がれているのです。
タマ公は、雪山で主人を救った一匹の猟犬でした。
もちろん、その後に町と町を結び、人と人をつなぐ存在になるとは思ってもいなかったでしょう。
それでも、タマ公の物語は90年以上の時を越え、新潟と横須賀という二つのまちを今も静かにつないでいます。
それは銅像だけではありません。
人の記憶が受け継がれ、交流が続き、助け合う約束が生まれたことこそ、忠犬タマ公が残した最も大きな足跡なのかもしれません。
村松公園で会える忠犬タマ公

忠犬タマ公の物語は、本やインターネットで知ることができます。
けれど、もし五泉市を訪れる機会があるなら、ぜひ一度、タマ公像にも会いに行ってみてください。
物語を読んでから見る銅像は、きっと印象が変わります。
五泉市を代表する桜の名所、村松公園。
春になると約3,000本の桜が咲き誇り、「日本さくら名所100選」にも選ばれた公園は、多くの花見客でにぎわいます。
その公園の一角に、忠犬タマ公の銅像は静かに建っています。
大きく胸を張った英雄の姿ではありません。
今にも歩き出しそうな、一匹の犬としてそこにいます。
その姿を見ていると、「主人を二度救った犬」という言葉よりも、一頭の犬が当たり前のように主人を信じ続けた、その時間の方が心に残ります。
五泉市内には、このほかにもタマ公にゆかりの場所があります。
ラポルテ五泉には、愛宕小学校に設置されている像をもとに製作されたタマ公像が展示されています。
また、ありがとうの郷・タマ公苑には銅像だけでなく、タマ公を顕彰する施設が整備されており、その生涯をより深く知ることができます。
さらに、新潟市の白山公園や新潟駅、胎内市の笹口浜にもタマ公像が残されています。
それぞれ建立された時代や背景が異なり、表情や姿も少しずつ違います。
時間があれば、それぞれを巡って見比べてみるのも面白いでしょう。
村松公園のタマ公像を前にすると、最初に感じるのは「立派だ」ということではありません。
「静かだ。」
そんな印象です。
たくさんの人に囲まれているわけでもなく、大きく目立つ場所にあるわけでもありません。
だからこそ、この物語を知って訪れた人は、自然と足を止め、タマ公の顔を見つめたくなるのではないでしょうか。
犬を飼っている人。
子どものころ犬と暮らしていた人。
忠犬タマ公の話を初めて知った人。
同じ銅像を見ても、心に浮かぶ景色は人それぞれです。
だからこそ、村松公園のタマ公像は、ただの観光スポットではありません。
五泉市の歴史を語り、人と犬の絆を今も静かに伝え続ける、小さな語り部なのです。
犬を飼っている今だから、タマ公が少しだけ分かる

犬は、言葉を話しません。
だから、本当は何を考えているのか分かりません。
「散歩へ行きたい。」
「お腹が空いた。」
そんな気持ちは何となく伝わってきます。
でも、「ありがとう」や「大好き」という想いは、言葉で教えてくれることはありません。
それでも、一緒に暮らしていると、不思議なくらい気持ちが伝わる瞬間があります。
私が仕事から帰れば、玄関まで迎えに来てくれます。
名前を呼べば、寝ていても耳だけがぴくりと動きます。
嬉しいときは全身で喜びを表し、落ち込んでいる日には、何も言わず静かにそばへ寄り添ってくれます。
そんな姿を見ていると、「信頼」という言葉は、人間だけのものではないのかもしれないと思うことがあります。
タマ公も、家ではきっと同じだったのでしょう。
主人のあとをついて歩き、ご飯を食べ、眠り、ときには叱られ、また甘える。
雪山で主人の命を救った「忠犬タマ公」ではなく、ごく普通の一匹の犬として、何気ない毎日を過ごしていたはずです。
もちろん、これは記録に残る事実ではなく、私の想像です。
けれど、その何気ない毎日があったからこそ、あの日、雪の下へ消えた主人を必死に探し続けたのではないでしょうか。
私は、「忠犬」という言葉だけでは、タマ公を語りきれない気がしています。
忠誠心という一言では片づけられない、人と犬が長い時間をかけて築いた信頼が、そこにはあったのでしょう。
その信頼は、一日で生まれるものではありません。
毎日の散歩。
何気ない遊び。
疲れて帰った日に頭を撫でること。
体調の変化に気づいてあげること。
そんな特別ではない時間を積み重ねることで、少しずつ育っていくものなのだと思います。
タマは、表彰されるために雪を掘ったわけではありません。
銅像になることも、自分の名前が90年以上語り継がれることも知るはずがありません。
ただ、雪の下には、大切な主人がいました。
だから掘った。
その行動が、多くの人の心を動かし、今もなお語り継がれています。
この記事を書き終えた今も、私の足元では犬が気持ちよさそうに眠っています。
ときどき寝返りを打ち、こちらを一度だけ見ては、安心したようにまた眠りにつきます。
その姿を見ていると、タマ公もきっと、主人のそばでこんな穏やかな時間を過ごしていたのだろうと思います。
犬と暮らしている今の私には、その想像が決して遠いものには思えません。
私はそっと足元の犬の頭を撫でます。
目を閉じたまま、小さく尻尾を動かしました。
言葉はなくても、それだけで十分でした。
忠犬タマ公の物語は、特別な犬の伝説ではありません。
人と犬が長い時間をかけて育んだ信頼が、一つの奇跡を生み、90年以上が過ぎた今も五泉市で静かに語り継がれている実話です。
私も、この何気ない時間を大切にしていきたいと思います。




